ヨーロッパ40日の旅 11  スペインーマドリッド






●マドリッド(2007年9月20日〜25日)

9月20日。
ヨーロッパ40日の旅で最後に訪れた街は、スペインのマドリッドです。バルセロナから特急でマドリッドへ行きました。夕方、マドリッドのアトーチャ駅に着き、地下鉄1号線でティルソ・デ・モリーナ駅へ向かい、オスタル「アルボル・デル・ハポン」へ宿泊。治安の悪いマドリッドということもあり、さすがに鍵は3重(3つの扉)で厳重になっていました。





プエルタ・デル・ソル。
10本の道路が放射状に延びるマドリッドの中心地です。




9月21日。
デスカルサス・レアレス修道院。
15世紀末から16世紀初頭にかけて建設されたフランシスコ会の女子修道院です。17世紀のフレスコ画の大階段は美しく、その他にもブリューゲル、スルバラン、ティツィアーノ等の作品が飾られていました。




マヨール広場。
四角形の広場の四方を、フェリペ3世が1619年に完成させた建物が取り囲んでいます。独特な雰囲気を持つこの広場は、当時、バルコニーから種々の祭りや儀式、宗教裁判の処刑の様子まで眺められたと言われています。





広場の中央にはフェリペ3世の騎馬像があります。





壁画は画風が統一されています。





王立サン・フェルナンド美術アカデミー。
16世紀から19世紀までのスペイン絵画が揃う美術館です。1710年に建てられた銀行家の邸宅を18世紀半ばに改築することで現在の形になりました。この王立アカデミーは、1744年に設立が来まり、その8年後にフェルナンド6世のもとで発足し、1774に現在の建物に移動しました。






ゴヤの「鰯の埋葬」。




ゴヤの作品は生で見ると、画面の独特な透明感に魅了されます。重層的に塗り重ねられた絵の具が深い表情を生み、特異な空気をつくり出していました。





スルバラン作「白衣の修道士」の連作は非常に神秘的な存在感がありました。







おぞましい世界を描いた強烈な彫刻群です。




全ての人間は狂気と化し、殺戮が繰り広げられています。一体何故 作者は、恐ろしい形相で欲望にまかせた人間たちの姿を表現しなければならなかったのか、様々に想像を巡らせました。






3階では、1800年代後半〜1900年代後半の作品が展示されています。








約100年前の時代には、現代において前衛と見なされるような表現のほとんどの原型が、既につくられていたことがわかります。作品が未来まで残され過去のものになった時、新しいか古いかではなく、良いか悪いかがその芸術の価値を決める、ということは遥か昔の時代から証明され続けている真実であると僕は思います。






9月22日。
ティッセン・ボルネミッサ美術館。
18世紀後半にできたビヒャエルモサ宮殿を改装し、1992年に開館した美術館です。個人としては世界第2位の作品数を誇るティッセン・ボルネミッサ男爵のコレクションが公開されています。





3階から順に鑑賞しました。







3階は、1290年のイタリア・プリミティブに始まり、僕の好きな1300年代後半から1400年代の宗教画や16世紀ドイツ絵画、16世紀ネーデルランド絵画、16世紀から17世紀までのスペイン、フランス絵画の展示です。





2階はフランス・ハルス、ロイスダール等の17世紀オランダ絵画から、セザンヌ、ルノアール、ゴッホ等の印象派絵画や18世紀ロココ〜新古典主義、19世紀アメリカ絵画、フォービスム等が展示されています。これまであまり惹かれなかった18世紀の絵画でしたが、こうして実際に鑑賞してみると、光の表現を含めて表現が複雑化してくるロココ、新古典主義の作品群が興味深いものでした。







古典から現代まで時代と国に沿って系統立てて展示されているため、西洋美術の流れをよく理解できる美術館です。




ピサロ、ドガ、ロートレック等も展示されています。




1階は、近・現代美術、シュールレアリスムの展示です。




クレーやシャガール、エルンスト、ピカソ、ミロ、ダリ等 名作が並びます。







世界最高の現存作家、ルシアン・フロイドのポートレイトも見られます。





ソフィア王妃芸術センター。
20世紀の現代美術を集めた美術館です。スペイン政府により民主主義復活後の1988年に創立され、厳選された超一流の作品が揃っています。





「ゲルニカ」。
1937年、ピカソ作。縦349.3×横776.6m。
絵画史における大傑作です。1937年4月26日、バスク地方にあるゲルニカという小さな町がドイツ軍ユンカースにより爆撃され、598人の死者と1500余人の負傷者を出した事件をピカソが知り、24日でこの壁画を描き上げました。




生命の尊重と、戦争への怒りを全世界へアピールするために描かれた「ゲルニカ」は、1937年のパリ万博スペイン館で「花瓶と女」と一緒に展示されました。

この反戦の絵と対峙した瞬間、直感的に強い衝撃が内から込み上げ鳥肌が立ち、圧倒され、その場に立ち尽くしました。それは極めて瞬間的なもので、感性でのみとらえられたものです。そして、その感情を何とかして言葉に置き換えたいという欲求が生まれ、理性による把握を試みました。言語化することで、自分の中に確かなものとしてとらえたかったのかもしれません。しかし、モノクロームの画面から放たれる迫力は、鑑賞者が言葉で納得することなど到底許さない程 緊迫感があり、鋭く突き刺さるものでした。
「ゲルニカ」はそれぞれのモチーフが複雑に絡むような構図を持ちながら、作者の強烈な感情が非常にシンプルに伝わってきます。速度のある線描と無彩色の色彩がその効果を巧みに生み出しています。ピカソはこの絵に対する強く激しい感情と共に、他者に伝えるためのクールな姿勢を常に持っていたことが、「ゲルニカ」の為に描かれた膨大な量のドローイングから伺えます。何度も構図を練り直し、描き変えながら造形を追求していた様子が、制作風景を写した写真の展示により紹介されています。

優れた美術作品を鑑賞し自分の中にとらえようとする時、理性の働きが全くの無関係だとは思いません。「造形美」に感動する時、概念的な思惟はむしろ生きいきと機能している、つまり、感性と理性は常に機能しているのだと考えられます。「造形美」に対して感性が重点的に働くのは「造形美」が「言葉で表現するもの」とは質の異なる魅力を持ち、感性に何かを感じさせる力があるからだと思います。そこに、あらゆる言語や文化、人種、時代を超越した普遍的な造形美が生まれる可能性がある、と僕は思っています。 




こうして絵画の歴史を順に見ていると、あらためて絵の世界は過去からの解放の連続で歴史が刻まれてきたことがわかります。しかし、作風がどんどん変わるピカソの場合、ピカソ個人の中でも破壊と解放が何度も行なわれています。その点が、他と異なる別格の存在という印象をピカソに与えているのかもしれません。








バルセロナの作家、スサーナ・ソラノ作「アウトグラフォ(サイン)」。
ボリューム、空間、素材、重力、フォルムをテーマに制作された作品です。





フランシス・ベーコン作「ライイング・フィギュア」。
素朴な室内において、肉体がゆがめられた人物への暴力性と荒涼な背景とのコントラストが効いた作品。




アントニオ・ロペス作「男と女」。
リアルな絵画と彫刻を制作するサンフェルナンド・アカデミー出身の芸術家です。2体の裸体像が実物大でつくられた木製の作品です。




町中。




9月23日。

プラド美術館。
1819年にスペイン王家のコレクションをもとに王立美術館として開館しました。建築は新古典様式。8000点以上の絵画を持ち、絵画館としては世界一を誇る美術館です。





1日かけてじっくりと鑑賞しました。




ベラスケス門。




ゴヤ門。
エル・グレコ、ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤをはじめとするスペイン絵画が、プラド美術館の展示作品の半数以上を占めています。




ベラスケス作「狩りの装いのフェリペ四世」。
1634/5年頃の作品。




ベラスケス「ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)」。
1656年。
バロックの虚構空間(イリュージョン)作法の集大成にして、世界最高峰の絵画と称される作品です。

比類ない空間描写の技術で描かれた「ラス・メニーナス」には、本物の空間と錯覚させる程の深い奥行きがあり、また同時に、平面性を極限まで突き詰めた画面が持つ強い「抵抗感」を感じさせます。これ程画面に深い奥行きと抵抗感があり、且つ安定感のある作品は初めて目にしました。完璧な調和のとれた「ラス・メニーナス」は想像をはるかに上回るものでした。完全無欠といえる無二の絵画です。




ベラスケス作「織女たち」。
1657年頃。









グレコ作「羊飼いたちの礼拝」。
1614年頃。
グレコ自身が埋葬される礼拝堂のために描かれた作品です。人や天使たちには霊性が漂い、引き延ばされた長い姿態が不思議な印象を与えています。自由な造形と独特な光の表情は、画集で見て想像していたものより何倍も美しく魅力的に思いました。






その他にも、フラ・アンジェリコの「受胎告知」やゴヤの「着衣のマハ」、ルーベンス作「東方三賢王」、「三美神」、「愛の園」、ボッシュ作「快楽の園」、ブリューゲル作「死の勝利」、デューラー作「アダムとイヴ」、ラファエッロ、ティツィアーノ、、ファン・デル・ウェイデン、と挙げればきりがない程の一級の作品が揃っていました。



9月24日。

サン・イシドロ教会。17世紀初めにスペイン初のイエズス教会として建てられ、18世紀後半にイエズス教会が追放された後 聖イシドロを祀る教会になりました。





アルムデーナ大聖堂。




新しい教会は随分雰囲気が異なります。





王宮。
ブルボン王朝第1代の国王フェリペ5世が建設を命じ、1764年に完成しました。部屋数は2700もあります。





内部には、145人を収容できる豪華な大食堂や、ベルサイユ宮殿を模した玉座の間等が続いています。











グラン・ビアとスペイン広場周辺。




ボティン。
1725年創業の世界最古のレストランです。




赤を基調とした落ち着きのあるお店です。ヘミングウェイはここの常連客でした。




子豚の丸焼きのセットを食べました。




レティーロ公園へ行きました。120ヘクタールに及ぶ美しい公園です。





公園内のガラスの宮殿。





噴水の虹。





その後、旅の見納めにもう一度「ゲルニカ」を見に行きました。




マドリッドで最後の宿泊。




9月25日。
早朝、アルボル・デル・ハポンからタクシーに乗りマドリッドのバラハス空港へ向かいました。フライトを待っていると、ちょうど正面の山から朝日が昇り始めました。




スペインからフランクフルト経由で飛行。


9月26日。
40日ぶりに日本に到着。




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